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桜蔭倶楽部 第25回 歴史・文学散歩 ご報告 

「五日市憲法草案と黒八丈(東京都あきる野市)」

  講師 新井勝紘 先生

 

 

目的地は、今は合併して東京都あきる野市の一部となっている旧五日市町。

まずは五日市街道沿いにある森縫合糸製造所(糸工房「森」)に到着しました。ここは、3代にわたり絹糸の撚糸を手掛けてきた老舗。森博社長自ら、奥行き45mの『張り撚り式八丁撚糸機』という希少な機械を使って生糸を絹糸に撚り上げていく様子を見せてくださいました。

(中央で撚糸機を操作しているのが森社長)

 

(でき上がった絹糸の束)

 

この絹糸を使い、江戸時代後期から盛んになったが大正時代には下火になってしまったという『黒八丈』復活を果たしたのが森社長です。染料にはヤシャブシ(カバノキ科)の実を煮出した汁を利用し、鉄分の多い泥の中につけて媒染、そこで黒く変わった糸を秋川の清流で晒す、この泥染めを20回以上も繰り返すと色味の濃い艶のある黒糸ができるのだそうです。手間のかかる旧来のこの手法を踏襲してできた糸で織られた黒八丈のベストを、実行委員の方たちが素敵に着こなしていました。

寿庵での美味しいお蕎麦と天ぷらの昼食時に、講師の新井先生が合流。ここからはタクシーに分乗して、「五日市憲法草案」関連の遺跡巡りです。

 

 

@深澤家跡=

江戸時代中頃に名主を務めた旧家。今は屋敷はないが、表門や石垣、土蔵などが残されており、深澤家代々の墓地が高台にある。深澤名生・権八親子は地域の自由民権運動の中心的人物で、憲法草案を起草した千葉卓三郎の最大の理解者であり後援者でもあった。50年以上前、当時大学4年だった新井先生たちは、政府が明治維新以来の歩みを称賛し「明治百年記念事業」を行ったことに対し、色川大吉ゼミで「明治百年は本当にバラ色だったのか」と問うて地域の歴史を掘り起こすことにしたという。その一環として深澤家の土蔵調査を行った時に、たまたま2階でぼろぼろの風呂敷包みを見つけたとのこと。中にあった文書の一つがのちに五日市憲法と呼ばれるようになった憲法草案だった。カマドウマが住む真っ暗な土蔵の2階で、先生は懐中電灯を照らしながら発見した当時の様子を詳細に語ってくださった。

(深澤家の土蔵)

 

 

A五日市憲法草案の碑(1979年建立)=

碑には、「人権擁護の調べの高い五日市憲法草案の中でも、出色の条文として抜粋したもの」(『「五日市憲法草案の碑」建碑誌』より)と言われる6か条が刻まれている。碑は、ここ五日市と、千葉卓三郎生誕地(宮城県志波姫町・現栗原市)、墓所のある仙台市資福寺の3ヶ所に同時に設置された。

 

B五日市郷土館=

 貴重な五日市憲法草案関係資料が展示されている。見学の後、新井先生の講話が開始。土蔵との出会い、五日市における自由民権運動の背景、発見した草案を解読するまでの苦労、さらに現行憲法にも通ずる五日市憲法の人権思想を条文をもとに細かく解説してくださった。明治憲法が発布される8年も前にこの五日市憲法が起草されていたことが、大きな驚きであった。

(日本のナイチンゲールといわれた萩原タケ女史の胸像 憲法草案の碑のすぐ近くに建つ)  

 

 

 実行委員の方々の、周到な準備と車中での説明、手際のよい引率のおかげで、今回も楽しく充実したバスツアーとなりました。前日からの雨が最初の見学地に着く頃には上がり、空も応援してくれた学習の一日でした。

(深澤家土蔵の前で新井先生とともに集合写真)

 


       

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